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花尊し

花尊し

浄土真宗


浄土真宗についての Q & A


Q 浄土真宗とは?
A 親鸞を開祖とし阿弥陀仏の本願他力の回向(えこう)によって往生すると説くもので、法然が念仏を根本とするのに対して信心のみで往生できるとする。阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、浄土で真のさとりに至る。
* 真宗、無礙光(むげこう)宗、一向宗、門徒宗とも呼ばれる。

Q 浄土真宗の教義は?
A 阿弥陀仏の本願力によって、往相回向(おうそうえこう:浄土への往生)と還相回向(げんそうえこう:他の人々を教化するためのこの世への再帰)とからなる衆生(しゅじょう)救済が成就するという、絶対他力の教えを根本にすえる他力信仰。往生を決定づける契機を「信」におき(信心正因、信心為本)、念仏による往生を説いた浄土宗に対し、念仏を必要とせず、ただ阿弥陀仏を信じることで救われるとした。信心をえた人は、現世においてすでに往生が約束され、如来にも等しいとされた。また、末法の世では悪人こそ往生の正因であるとした「悪人正機説」をとなえ、肉食妻帯の在家主義を実践した。

Q 他力本願とは?
A 世間では一般に「他力本願」というと、良くないことのように思われています。しかし念仏において「他力」とは阿弥陀様にひたすら、おすがりするということであり、阿弥陀様への絶対的な帰依を表します。

Q 真宗十派とは?
A 親鸞聖人を宗祖と仰ぎその教えを旨とする浄土真宗を宗旨とする宗派は、いろいろあり主なものに「真宗十派」と呼ばれる十の宗派がありますが、そこに入らないものもあります。
真宗興正派 興正寺                京都市下京区堀川七条上ル        
浄土真宗本願寺派 本願寺(西)        京都市下京区堀川七条上ル        
真宗大谷派 本願寺(東) 俗に「お東」    京都市下京区烏丸七条上ル
真宗佛光寺派 佛光寺              京都市下京区高倉通佛光寺下ル      
真宗高田派 専修寺                三重県津市一身田町          
真宗木辺派 錦織寺                滋賀県野州郡中主町木部        
真宗出雲路派 毫摂寺              福井県武生市清水頭町          
真宗誠照派 誠照寺                福井県鯖江市本町三丁目         
真宗三門徒派 専照寺              福井県福井市みのり二丁目        
真宗山元派 照誠寺                福井県鯖江市横越町          

Q 大谷派とは?
A 今の大谷派は浄土真宗の看板を掲げながら実態はもはや別物。蓮如 上人の教えを古いと切り捨て、近代教学で変質してしまった。大谷派教学のゆがみの根底は、「後生の一大事」の誤った解釈にある。死後など説明できないと、ほおかぶりしてしまったところに、近代教学の誤りの出発点がある。

Q 宗派によって仏事の作法はそれぞれ?
A 私が坊守をさせていただいている浄土真宗本願寺派にもいろいろな作法があります。たとえばお仏壇のお荘厳など、当派ではお茶などを御供えすることはしませんし、なまぐさいものも御供えしません。他にも浄土真宗ではお線香は立てずに、適当な長さに折って横に寝かせてたきますし、お焼香のときに何度もお香をつまんだりいただいたりはしないで一回だけつまんで香炉にいれ合掌、称名して礼拝するというようにそれぞれの宗派で作法が定められています。

Q 供養とは?
A 今、この絶望的な悲しみの中で一生懸命その悲しみを引き受けておられるあなたのお気持ちこそがなによりのご供養です。それ以上のご供養はありません。 お墓やお仏壇の前で亡き人を拝んだり、お経をあげたりするのが、ご供養ではありません。あなたの心に今なお生き続けて、あなたに力を下さっているに違いない故人の「おかげさま」に出会わせていただくことこそがご供養です。その他にご供養などありません。本当は供養をしてくださっているのは亡きお方のほうなのです。亡きお方のおかげさまでお経をお聞かせいただいてるのが私どもです。亡きお方のおかげさまに私たちはお礼を申し上げ、さまざまなおかげさまを忘れどおしの私をお教えいただくだけです。親鸞聖人のみ教えでは死者への供養ということなどは、生きている者の僭越だと教えられます。亡きお方より供養をしていただいているのがこの私なのだとお示しくださるのがお念仏のおはたらきであり、亡き人を供養するための呪文ではありません。ですから、お墓やお仏壇へお参りをしたり、お経をあげさせていただくのも、亡き人の供養のためではなく、亡き人こそが私を仏縁に合わせて下さるのだと捉え、亡き人から大切なことをお教えいただく場であり、亡き人のおかげさまを喜ばせていただく場とします。亡き人からご供養されていることすら忘れどおしで、亡き人にご供養など出来る私ではないと気付かせていただくのが仏教です。故人はお墓に眠っているのではありません。いつもあなたと一緒に生き続けて下さっています。

Q 兄の新しく作った墓石に〇〇家の【供養】という文字が刻まれていました。浄土真宗ではこの【供養】と言う文字は不適切と思われますがいかがでしょう?
A 仏教では、相手の人格を無視したり見下すことを「殺生」と言います。逆に相手を敬い尊敬することを「供養」と言います。「殺生すれば地獄、供養すれば浄土」というのは単に死後の問題ではありません。現実に地獄を作り出していくのか、浄土のはたらきに随順していくのか、常に私たちに突きつけられている問いなのです。そして「地獄を見た者こそ地獄を作る業を離れ、浄土を求め、その創造のはたらきに参入して欲しい」という願いが阿弥陀如来の本願なのです。ですから、浄土真宗の教義として「供養」の文字が不適切ということは全くありません。ただ、墓の正面には「南無阿弥陀仏」等の名号か、「倶会一処」の文字を刻むことが宗派の決まりとなっています。もしそうした文字が刻んでない場合は、参拝の時、名号や絵象を持参し、墓の中央に置いて礼拝・読経して下さい。

Q 【供養】のために墓を作るのでしょうか?
A 「供養」というのは、財と法の二種類があり、飲食・衣服・臥具・湯薬の「四事供養」に代表される金品の供養と、恭敬供養・讃歎供養・礼拝供養という精神的崇敬の供養ですが、どちらも尊く大切な宗教儀礼ですので、そのために墓を作るということは、決して間違いではありません。しかし、ここで問題にされているのは、そうした「供養」が、目的ではなく手段に使われていることではないでしょうか。つまり「追善供養」のように、供養することで何かを得る、いわば「取引」になる懸念です。 「宗教はあくまで目的であって、手段となってはいけない」 という事を聞かせていただいたのですが、 確かにこれは厳に慎まなければならないでしょう。「念仏」でさえも、手段として称えれば、本来の信心や報恩から離れて 呪術の一種と化してしまいます。そうした念仏を自力の念仏として廃し、他力の念仏に帰さしめていくのが浄土真宗です。「宗教は目的」ということは「そのこと自体が本質である」ということ、つまり、供養も念仏も、その行為の後に何かを期待するのではなく、供養すること自体に、念仏すること自体に、いのちの尊さに目覚め、生きる喜びを見出していく、生きる方向性を見出していくことが肝要と思われます。「供養」や「他力」という言葉は、世間で誤解されて使われていますが、そのことを歎くだけではなく、言葉のもっている本来の尊さを、刻まれた文字を縁として、共に学んでいかれると良いでしょう。

Q 別のところでも供養を行うと、霊が迷うのではないか?
A 供養を繰り返すということは、仏教的には、とても良いことです。

Q 浄土真宗のお盆は?
A うら盆経の中に母が餓鬼の苦しみから解放されたのを知り、目連をはじめ、集まっていた菩薩衆が皆大いに歓喜したとあり、また「7月15日佛歓喜の日」とあることから「歓喜会」と呼ばれてきました。

Q お盆にご先祖が帰ってくるといいますが?
A 霊魂というわけの分からないものが、空を飛んで我が家へ帰ってくるのではありません。亡き人が私の心に帰ってきてくれるのです。それはお盆に限ったことではありません。

Q 灯篭は?
A 灯篭はその灯りを目当てにご先祖の魂が帰ってくると考えられ、迎え火というものです。お盆の風物詩として置くのには悪くないですが、これも浄土真宗では飾る必要はありません。

Q 位牌とは?
A 位牌とは故人の戒名を書いて仏壇に納める木の札のことをいい黒い漆で塗られたものが一般的ですが、真宗両派(西本願寺派、大谷派)は位牌を使用せず法名軸でおまつりし、別に過去帳を用意します。

Q お仏壇のお飾りは?
A お仏壇をきれいに掃除し、三具足(香炉・燭台・花瓶)とし、お仏飯をあげ、お灯明をともし、お線香をあげてください。お仏飯は普通の仏飯器に盛って仏壇にお供えします。

Q なぜ衣服を左前にしたり、逆さ着にはしないのか? また逆さ屏風にしないのか?
A 常の所作と逆にすることで、死者を悪霊から守ろうという思想から来ています。 また死を異常なこととして受け止める思想でもあります。これは死者(死霊)をたたるものとして恐れる信仰であり、人間の尊厳性を大きく損なうものであります。

Q なぜ故人が生前常用した茶碗に御飯を盛らないのか?
A 飯は元来、仏に食物の恵みを喜び供する意義で供えるものであり、したがってお仏壇に荘厳される仏に対し、供するのであり、故人に対する直接的な荘厳ではありません。ですから仏飯器でお仏飯をお供えするのです。

Q なぜ「祈る」という言葉を」使わないのか?
A 必勝祈願という言葉に見えますようにこの言葉は自己の欲望を肯定する方向で使われることが多いのです。浄土真宗の教えにそぐわない言葉であると言えるでしょう。

Q なぜ「死装束」・「六銭文」・「守り刀」をしないのか?
A 死装束は、まず「経かたびら」と呼ばれる白い着物をつけ、両手には「手甲」を付け、足には「脚絆」を巻き、「白足袋」・「草履」、頭には三角形の「頭巾」、首からは「頭陀袋」をつるし、杖を持たせます。死後の旅に出発するという思想から来ています。頭陀袋には六銭文をいれます。三途の川の渡し賃に使われるためとも、死者の小遣いとも言われています。三途の川というのは、この世からあの世に行く時に渡る川であると言われています。また旅の途中の魔物に襲われた時のためにと、護身用の刀が棺にのせられます。このような一連の考え方は浄土真宗の教えにありません。

Q なぜ神棚に白い紙を貼るのか?
A 神様は死者を死穢(しえ)として忌み嫌うから、その神の目に触れないように白い布で神棚を覆っていたものが簡略化され白い紙を貼るようになったのです。

Q 四十九日・三十五日について
A 四十九日が3ヶ月にまたがると、三十五日にお勤めする風潮があります。これは単に「始終苦が身につく」とのゴロ合わせに過ぎません。このような迷信的なことに振り回されたくないものです。ちなみに四十九日は「死苦が抜けるという」ゴロ合わせだそうです。

Q なぜ塩で清めないのか?
A わが国には、死体の腐敗する恐怖心と、それを忌み嫌う風習が伝えられてきました。また塩は昔から悪霊etcを吸収し、身体を災いの元から切り離すと信じられており、その中から塩で清めるという風俗がなされてきたのです。この根底には死穢(死体の腐敗による穢れ)思想が存在します。

Q なぜ友引・大安・仏滅etcにこだわってはいけないのか?
A もともと友引・大安・仏滅etcは中国の暦本における暦(六曜)を顕すとされ、友引を例に採れば「友引」とは共に退する、すなわち相引き、勝負なしを意味したといわれています。それが日本では神道のけがれ思想と結び付き、その日に葬儀を出すと死者が「友」を引くと、その語義に勝手に解釈を加え忌み嫌うようになったものがその言われです。ですからこのような日の善し悪しを気にする迷信は人間の尊厳性をそこなうものですから、できればなくしていきたいものです。

Q なぜ一膳飯を盛膳する事や茶碗を割る事をしないのか?
A わが国固有の考え方で、死者の霊魂は死後、私たちの見える範囲を彷徨いており、その恐ろしい霊魂が帰って災いをもたらしては困る、というのが「一膳飯」とその茶碗を叩き割るというまじないで残されてきました。すなわち、死者が生前使っていたお茶碗に山盛りしたご飯に取り憑いた霊魂を出棺に当たって追放し、家へ迷って帰ろうにも戻りつく場所がないようにするために行われる事柄であります。ただ、肉親・恩愛・愛別の情を断ち切ろうとの思いもありましょう。

Q 「冥福を祈る」とは?
A 冥福を祈るとは死後の幸福をすなわち「冥土の幸福」を祈るという事です。「冥土」とは暗闇の世界です。亡き人をはじめから暗闇の世界に迷い込むと決めつけた言葉です。浄土真宗の教えでは弥陀の御本願を疑なく信じる御同行のそのお互いがお念仏申す身にならせて頂いており、それゆえこの身は阿弥陀如来のお救いによって、お浄土に生まれさせて頂けるのですから、真宗の教えにそぐわない言葉であります。

Q 忌中札について
A 死者の出た家では四十九日まで忌中の札を貼っているところが多いようです。 真宗ではいたしません。これは死は穢れ(けがれ)であるという観念と結び付いたものです。死忌の穢れや死霊のわざわいを他に及ぼさないように広く知らせ、そして守り防ぐ目的もあったと言われます。亡くなった方の死を自分も後に必ず迎える事柄として真摯に受け止める行為ではありません。故人の人生の最後の締めくくりの目安としてどうしても必要であれば「還浄(げんじょう)」という貼紙をしたらどうでしょうか。「還浄」というのはいのち」がお浄土に還っていくというお経の言葉です。

Q 草場のかげで
A いつまでも身近なところにいて見守っていて下さい。という意味だと思いますが、実際には死者が墓地の周辺(草場のかげ)を迷っているという事柄を顕す言葉です。ですから真宗にはそぐわない言葉です。

Q なぜ「黄泉の国に旅立つ」と言わないのか?
A 黄泉の国とは「古事記」に出てくる神道の世界で、死体が腐食しウジ虫etcが這いずり回る穢れなる世界の事を指します。「古事記」には黄泉の国は「きたなくわるいところ」であると記されています。そんなところに自分も亡くなると旅立っていくのでしょうか。そうではありませんね。生きとし生けるものは最終的に弥陀の御本願に誓われる摂取不捨(生きとし生けるもの、その全てを弥陀の建立した浄土に生まれさせる)という御利益により浄土に生まれさせて頂きます。


Q なせ「戒名」と言わないのか?
A 戒名の言われは「戒を授ける(授戒式)によって与えられる名前」の事です。真宗では戒律を守り、仏から指示された仏道修行を励む事を行いませんし、また戒そのものを生身の人間には修する事の不可能な行として定義し、したがって説きませんので授戒式は行っていません。真宗では法名といいます。法名は仏弟子になったというしるしに与えられる名前です。

Q なぜ遺体を北枕にするのか?
A お釈迦様が入滅の際「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)」の姿勢をとったと伝えられる伝承に由来しています。

Q なぜ紙華をするのか?
A 紙華の由来は、お釈迦様が涅槃に入られる際、その死を悼み悲しんで沙羅双樹の花が白く変わったという伝承になぞられ、お釈迦様が涅槃に入る事を、ひいては死者が涅槃に入る事を象徴しているのです。


使わない言葉/ 浄土真宗で使う言葉
ご霊前(みたま)/ 御仏前・ご尊前
祈る/ 念ずる
冥福を祈る/ 哀悼の意を表する
天国/ お浄土
戒名/ 法名
魂/ 故人
引導を渡す/ おかみそりをおこなう
安らかにお眠り下さい/ 私たちをお導きください
天国に昇天する/ 浄土に往生する
草場のかげで/ お浄土で・み仏の国で往生する
永眠する/ み仏の国にお還りになる
幽明境を異にする/ み仏の国に生まれる
黄泉の国に旅立つ/ 浄土に生まれさせて頂きます


Q お仏壇のお飾りは?
A お仏壇をきれいに掃除し、三具足(香炉・燭台・花瓶)とし、お仏飯をあげ、お灯明をともし、お線香をあげてください。お仏飯は普通の仏飯器に盛って仏壇にお供えします。
*故人常用の茶碗etcには盛りません。
*仏花は赤い色を避けて、樒(しきび・何本でもよい)、または常緑樹にします。
*打敷(うちしき)、戸帳(とちょう)は、銀色または白地(白布で作ってもよい)をかけてください。
*遺体は身体を拭い、白布でお顔を覆い、衣服を着用します。その時は衣服を着物の場合、左前にしたり、逆さ着にはしません。遺体は、お仏壇の正面を避け、北枕または西枕に安置します。部屋の都合で出来ないときには、こだわる必要はありません。
*両手を胸元で合掌(組み合わせ)させて、念珠をかけてください。
*遺体の上には、守り刀etcの刃物類、ほうきetcは置きません。
*遺体の枕元には、お茶・お水・お箸を立てた一膳飯etcはお供えしません。枕団子etcもお供えしないでください。
* 床の間には、他の宗旨が用いる掛け軸(例:西国霊場巡拝譜図etcはかけないでください。掛軸・額etcに白紙を貼ったり(紙封じ)・逆屏風etcはしないでください。

Q 納棺は?

* 通夜の前にするのが一般的です。
* 俗に湯灌といわれ、沐浴の式をする。
* 浄水を沸かし死者の身体をぬぐい、衣服(白衣に限らない)を着せ、合掌させ念珠をかけ棺におさめる。(納棺)
* 納棺の時に経帷子を着せたり、三角巾・手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)をつけたり、六銭文・杖を持たせるようなことはしません。旅装束や頭に三角巾、三途の川の渡し賃・弁当代とされるお金は不要です。これは故人が迷う事を前提とし、また迷うと決めつけた行為であり、故人に対して失礼です。また、お浄土に生まれるのにわらじやお金etcの旅仕度は不要です。
* 棺の上は棺覆い、または七條袈裟で覆い、修多羅をかけてください。修多羅以外の守り刀etcのものは置きません。


葬場勤行
*現在は出棺勤行・葬場勤行を一緒に行っています。
*告別式は一般会葬者が故人に別れを告げる儀式です。したがって本来であれば、葬儀と告別式を分けて行うのが正式な形ですが、現在では一緒に行われています。
*弔辞がある場合は事前に導師(葬儀を行う僧侶の代表者、普通は所属寺院の住職)に相談しましょう。
* 弔電については前もって導師に相談してその取り扱いを決めて下さい。
* 本尊以外(遺体・写真・位牌etc)に向かってお勤めをしません。
*棺の位置は段の上ではなくて、段の前あるいは段の後方に安置してください。段荘(葬儀壇)はご本尊へのお飾りであって、遺体へのお飾りではありません。
*棺の上は棺覆い、または七條袈裟で覆い、修多羅をかけます。修多羅以外の刀・写真etcは置きません。
*香炉の香は抹香を使用するのが望ましいのですが、線香を使う場合は立てずに長ければ折って寝かせます。荘厳は五具足(香炉・燭台一対・花瓶一対)です。
*供物は餅一対・これに加えて菓子一対・果物一対をお供えします。生野菜・乾物etcは供えません。また、お茶・お箸を立てた一膳飯etcはお供えしません。
* 花瓶の花は紙華を用います。(紙華は花瓶の双方に2本づつ)
*焼香卓に香炉・香盒を用意します。
*提灯はなくても構いませんが、置く場合、火袋etcには「御霊前」と書かないで、無地または「御仏前」と書いたものを使用します。
*供花について、赤色の花は避けてください。
* 葬儀の後、塩をまいたり、茶碗を割ったりしません。


火葬
*火屋勤行を行う。




葬儀全般
* 友引etc日の善し悪しにとらわれる必要なありません。日の善し悪しに照らし仏事を営むか否か決定しなければいけない、という事柄は仏教の教えのどこをさがしてもでてきません。
* 葬儀会場の玄関脇に盛塩・水桶・竹箒etcは置かない。
* 出棺にあたっては、故人使用の茶碗を割ったり、棺の蓋を石で打ったり、棺を回すetcのことはしません。
* 清めの塩を使用する習慣は根強いものがありますが、仏教では用いないのが正式です。
* 弔辞や弔電etcでよく使われる用語で浄土真宗の宗義にふさわしくない言葉があります。ほとんど一般社会において決まり文句になっているようですが、御法(おみのり)をお聞かせ頂くと、浄土真宗門徒として使うべきではないことがわかっていただけると思います。




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